景気動向指数(CI一致)
景気動向指数とは、景気の動きに敏感に反応して動く指数をいくつか集め、合成して1つの指数としたものです。先行指数、一致指数、遅行指数の3つ(いずれもCIおよびDI)が内閣府により作成されています。そのうちの一致指数は、景気が良くなれば数値が大きくなり、悪くなれば小さくなるため、景気の動向や現状を知るのに使われています。また、CI一致指数の動きと景気の転換点はおおむね一致します。
一致指数は、現在、生産指数(鉱工業)、鉱工業用生産財出荷指数、耐久消費財出荷指数、所定外労働時間数、投資財出荷指数、商業販売額(小売業)、商業販売額(卸売業)、営業利益(全産業)、有効求人倍率の9つの指数を合成した指数となっています。
目次
平成30年間の景気動向指数の推移
- 平成30年間の景気動向指数の全体像
- プラザ合意(’85年~’86年)
- バブル景気(’86年~’91年)
- バブル崩壊(’91年~’93年)
- 引き締め解除(’93年~’97年)
- 財政構造改革(’97年~’99年)
- 財政出動(’99年~’00年)
- 米国のITバブル崩壊(’00年~’02年)
- いざなみ景気(’02年~’08年)
- リーマン・ショック(’08年)
- 東日本大震災・ギリシア危機(’11年・’12年)
- アベノミクス(’13年~’19年)
- 新型コロナウイルス(’19年~)
直近10年の景気動向指数の推移
平成30年間の景気動向指数の全体像
バブル絶頂期の’90年から’00年まで、一度も絶頂期の景気動向指数(CI一致)を超えることなく10年が経過したため、後にこの期間は「失われた10年」と呼ばれるようになりました。’00年から’10年は、いざなみ景気により一時的にバブル絶頂期の景気動向指数(CI一致)を超えましたが、すぐにリーマン・ショックにより大きく景気が落ち込みました。’10年から’20年は、大きな災害とそれぞれ2回の政権交代と消費税率引き上げを経て、経済の停滞が続きました。’90年~’00年の「失われた10年」から、’20年まで景気動向指数(CI一致)が大きく変わらなかったことから、平成30年間を総称して「失われた30年」と呼ばれることもあります。
プラザ合意
1980年代後半は、景気が下降する局面から始まっています。
その原因は、1985年9月のプラザ合意であると考えらえます。プラザ合意は、米国の貿易赤字を是正すべく結ばれた合意であり、その結果として円の対ドル相場の上昇(円高)を招き、日本の輸出の伸びが鈍化しました。
バブル景気
プラザ合意から始まった円高不況から脱するのは、1986年12月になります。
日本銀行による金融緩和政策により、段階的に金利が引き下げられました。ここから1991年の2月までバブル景気が続くことになります。
バブル崩壊
1990年代に入り、株価の暴落や地価の下落によるバブルの破裂が発生し、1991年3月から景気の下降局面に移行しました(バブルの反動不況)。
この不況は期間が長かった(32か月)ことに加え、景気の落ち込みも大きかったのですが、1993年10月に底を打ちました。
引き締め解除
金融政策の引き締め解除により、1993年11月以降、景気は回復局面へと移行しました。1992年~1995年の間に合計7回の大型景気対策が打たれました。景気が回復に転じたこととは逆に、’95年は阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件が立て続けに起こり、暗い雰囲気が日本を包みました。
財政構造改革
橋本内閣による「財政構造改革」による消費増税や、公共事業の名削減などによって再び景気が悪化しました。実質GDP成長率が2年連続でマイナスになるなど、バブル崩壊後の不況に比べるとそこは浅いものの、とても厳しい景気の落ち込みとなりました。
財政出動
財政構造改革に端を発した景気の悪化は、西部の財政出動により、1991年1月で底を打ち、改革前の景気に戻しました。
米国のITバブル崩壊
米国のITバブルの崩壊により再び景気が下降し、2002年1月で底を打った時点でのCI一致指数はは、奇しくも前回(財政構造改革の際)の底のときとほとんど同じ値になりました。
いざなみ景気
ITバブルの崩壊よる景気の悪化は幸いにも短命に終わり、その後の2002年2月~2008年2月までの景気の上昇は、73か月とういう戦後最長の景気上昇期となりました。いわゆる「いざなみ景気」です。しかし、GDP成長率は2%以内と低く、長期間景気が下降局面に陥らずに経過したというだけの「実感なき景気拡大」でもありました。
リーマン・ショック
いざなみ景気を終わらせたのは、歴史にも名を残す世界的金融危機「リーマン・ショック」でした。
米国のサブプライム危機に端を発し、大手投資銀行であったリーマン・ブラザーズの経営破たんに伴う世界的金融危機は、当然のことながら日本にも大きく影響し、短期間であったものの、バブル崩壊による不況の底を大きく下回りました。2009年4月から回復し始めますが、その後も大きな落ち込みを繰り返すことになります。
東日本大震災・ギリシア危機
リーマン・ショック後は緩やかに景気が回復していきましたが、リーマン・ショック時の2009年~2013年までの5年間に大きく2回の景気の落ち込みがみられました。1つ目は2011年の東日本大震災。急激な落ち込みは見られたものの、景気の下降局面には至りませんでした。2つ目はギリシア危機に端を発した円高の進行。こちらはごく短期間でしたが、景気の下降局面に陥りました。
アベノミクス
第二次安倍内閣は、2013年12月から始まり、戦後最長の長期政権となりました。リーマン・ショックや東日本大震災からの立ち直り(景気の上昇局面)に入ったところからスタートし、アベノミクスという経済政策により、長期間の緩やかな景気の上昇局面に突入します。途中、消費税率の引き上げなどによる景気の落ち込みは見られましたが、一時はリーマン・ショック前の景気に戻しています。
新型コロナウイルス
現在進行形の景気の落ち込みは、世界的パンデミックにより引き起こされました。新型コロナウイルス(COVID-19)の猛威は全世界に向けられ、日本のみならず世界各地で経済活動の停滞を引き起こしました。2021年6月現在は、世界的にワクチンが普及しつつあることで、徐々に経済活動が正常化されようとしています。
直近10年の景気動向指数の全体像
景気動向指数(CI一致)のグラフの端は、それぞれリーマン・ショックとコロナ・ショックという世界的な景気の悪化の影響を受けています。その間は、複数回の大きな災害、政権交代、消費税率引き上げという社会・政治・経済の変化がありました。’13年以降はアベノミクスの影響で、経済は緩やかに回復し、就業率や完全失業率は大きく改善しましたが、社会保障費の増大やGDP成長率にブレーキがかかり、実質的な景気感はそれほどいいとは言えません。
‘09~’10年
2010年はリーマン・ショックからの立ち直りで始まります。前年の’09年に、リーマン・ショックによる不景気が底に達し、日経平均株価はバブル後最安値となりました。また、リーマン・ショック以前から自民党に対する不満が募り、2009年8月に民主党政権が発足しました。鳩山由紀夫内閣の支持率も高く、順調に景気が回復していきました。’10年の終わりには日銀がゼロ金利を復活させました。
‘11~’12年
菅直人内閣の問題が続出し、それに応じて景気も下降局面に移行しました。2011年3月の東日本大震災・福島第一原発事故で景気の底を打ちましたが、それ以前から景気の下降局面に入っていたのです。そこから景気の上昇局面に転じましたが、民主党内閣の政策はことごとく失敗し、2013年12月に第二次安倍信三内閣が発足し、民主党政権は約3年3か月で終焉を迎えました。
‘13~’14年
リーマン・ショックからの脱却、震災からの復興という追い風と、日銀による異次元の金融緩和の影響もあり、’13の1年間は順調に景気が回復しました。追い風を止めたのは、消費税率の引き上げです。ただし、消費税率の引き上げにより、景気感は下がったものの、その低下は景気の下降局面とはされていません。それでも、消費税率の引き上げが景気に悪影響を及ぼしたことは否定できず、その後の’15年~’16年の景気の停滞に少なからず影響を与えました。
‘15~’16年
グラフだけ見れば、この2年間は経済が停滞したと言えます。途中、国内外の金利政策の変化や災害、英国のEU離脱にチャイナ・ショックなど、国内外の変化はありましたが、国内の景気感に大きな変化はありませんでした。
‘17~’18年
ドナルド・トランプ大統領の誕生が日本に与えた影響は少なくありませんが、それでも景気が上向きに動いたのは、アベノミクスによる輸出増の影響が大きいと言えるでしょう。ただし、この風向きがいつまでも続くわけではなく、米中のどちらとも貿易をしている日本も、米中貿易摩擦の渦中に巻き込まれ、’18年は若干景気が下降しました。
‘19~’20年
2019年10月の消費税率の引き上げで下降局面に移行した日本景気は、COVID-19の影響でさらに深く落ち込みます。正に泣きっ面に蜂状態。1回目の緊急事態宣言で底を打ちましたが、GW後の感染者数の減少と、Go To キャンペーンの波に乗り、景気は徐々に回復していますが、2021年に入って2度目の緊急事態宣言が発令されています。